運営者情報

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はじめまして。夢の伴走者たかしコーチです!

Twitterを中心に『夢中な大人を増やして世の中をもっとオモシロクする』ことをミッションに「コーチ」として活動しています。

強みと言えるものが何もない自分に劣等感を感じ、さいなまれることもありましたが、それでもTwitterでは7000名の方にフォローしていただき「コーチ」としても活躍することができるようになりました。

こんな私が、どうやってここまでたくさんの方にフォローしていただけたのか。また、ここまで「コーチ」というワードが出てきましたが、あまり知られていないコーチングについての説明も行いながら自己紹介させていただきます。

 

生い立ち

今でこそTwitterで7000名を超える方々にフォローしていただいておりますが、私は有名大学を卒業したわけでもなく、むしろ最終学歴は高卒です。社会に出てからも東証一部上場のような大企業に勤めた経験もありません。華々しい経歴と呼べるようなものはなにもありません。

静岡県に生まれ、父は建設業、母やスーパーのパートに勤めていた家庭で育てられたごくごく普通の、どこにでもいる地方住みのアラフォー(39歳)会社員です。

中学生の頃は、ビジュアル系ロックバンドの流行したこともありX JapanにLUNA SEA、L'Arc〜en〜Ciel、GLAYといったバンドに夢中になっていました。勉強が大嫌いで大の苦手だった私は、練習もろくにしないくせにプロを目指す!と高校卒業後は脇目も振らずに東京の音楽系の専門学校に進学しました。

しかし、田舎者の18歳には東京はキラキラしすぎてました。半年もしないうちに学校から足は遠のき、当然1年もたずに中退。残ったのは奨学金という借金だけ。それでも、母の「お金の心配はしないで帰っておいで」という言葉には救われました。いつも母は僕の味方でした。親の愛を知っているから頑張れているのは間違いありません。

 

Twitterとの出会い

専門学校を中退してから約18年。37歳の冬、ひっそりとTwitterをはじめました。Twitterをはじめた切っ掛けは、元ZOZO田端信太郎さんの「ブランド人になれ!」という著書を読んだ勢いです。

・ありふれた普通の職場で仕事をし、安全牌ばかり引いたところで、君というビジネスパーソンはいつまで経ってもブランドにはならない。

・この本を閉じた瞬間にアカウントを作り、今すぐ本書の感想を 10 連投してみてくれ。

・恥をかくことを恐れていてはブランド人には決してなれない。

・この本を何度も読み返してくれるのもいいが、さっとゴミ箱にでも捨てて行動することにこそ、最大の価値がある。

高卒、何の実績もなくスキルも資格もない。自分の人生は難易度高すぎじゃない!?なんて思いもありましたが、田端信太郎さんのブランド人になれ!を読んで「何物でもない自分だけど、何者かになりたい!」その一心で著書にあったように本を投げ捨てて(笑)Twitterアカウントを作りました。

元々SNSには疎く、特にTwitterは「炎上したらどうしよう」という、今となれば無用な心配をしているようなタイプでした。それでも「恥をかくことを恐れていてはブランド人には決してなれない」という田端さんの言葉を信じて「実名」「顔出し」アカウントでTwitterを開始。

そして「本書の感想を 10 連投してみてくれ」というミッションを、忠実に応えて10連投するも田端さんにRTしてもらえることもなく、すべていいねゼロの撃沈スタートとなりました。
それでもTwitterを諦めなかった自分を褒めたい(10連投は削除。今思えばもったいない)です。

Twitter運用は当初「フォロワーさえ増えれば権威性が高まってどうにかなる」という壮大な勘違いをしており、フォローバックの企画に参加したりしてフォロワーを増やすことにのみ注力している状況でした。

結果どうなったかと言えば、フォロワー数は増えてもいいねは付かず。もちろんリプもしてもらえないという空気のような存在になってしまいました。Twitterを運用してバックエンドの商品を売りたいという考えがあるのであれば、はっきり言ってフォロワー数は関係ありません
それよりも大切なことは「自分の在り方に共感してもらい、信用信頼を積み重ねること」です。というよりもそれしかありません!

違和感を感じつつも続けてきましたが、フォロワー5000人が目前になった頃から「これは意味がない」ということに気づき、同時に焦りを感じるようになりました。運用を変えると同時に、ある課長系インフルエンサーの方にコンサルしていただき、ツイートに200前後のいいねをいただけるようにもなりました。

 

Twitterを始めて1年半以上が経過しています。一気に万垢に駆け上がっていった人たちと比べると、私のTwitter運用は亀の歩みであることは間違いありません。しかし、今では7000人もの方にフォローしていただくことができました。開始当初はいいねがひとつもつかない状態でしたので、大きな進歩だと思います。

また、コーチとしての活動も本格的にスタートし、Twitter経由ですでに有料のご契約もいただいています。いわゆるマネタイズできたということです。Twitterで人生変わり始めてる。そう言ったところまでは、何とかたどり着くことができました。

 

コーチングとの出会い

ここまで、Twitterやコーチという顔についてご説明してきましたが、私には店舗ビジネスの店長という顔もあります。部下の人数は多く、日々マネジメント業務に努めています。

ただ、これまでにもお伝えしてきました通り、何の資格もないただの高卒の私が多くの部下を抱えていけるわけもなく、多くの困難続きでした。最も酷い状態に陥ってしまった時には、部下から総スカンを喰らい、当時勤めていたスタッフの20%が同時期に退職することもありました。その他にも諸問題がいくつも表面化し、その責任をとって始末書提出、人事異動で別店舗に移されることになりました。

コーチングとの出会いは、そういった仕事上の絶望期を迎える数年前。谷口貴彦氏の著書「ザ・コーチ」でした。(そのまんまのタイトルですねw)

小さい頃から目標を設定することが大切だと聞かされてはきましたが、そもそも、目標とは何かについての学習をしたことがありますか? 学校では、目標について何も教えてはくれません。それでいて、大事だと言われるのですから、誰もが混乱するのは当然です。

30歳を過ぎたころから「何物でもない自分だけど、何者かになりたい!」という一心で本を読むようになり、年間50~60冊は読むようになりました。その中の一冊「ザ・コーチ」にあった一説に影響を受け、自分は目標を持つことも、どうやって進めていけばいいのかも知らなかったことに気づきました。

この著書との出会いから、ダメな自分は生まれながらダメな自分だったわけではなく、世の中の仕組みを正しく理解することができていないことがいけなかったことに気づきました。

これからの私は暑苦しかったと思います汗

しっかりと仕組み理解することができれば、ダメな自分の思い込みから脱することができる。何物でもない自分だけど、何者かになることで「みんなだってできるんだよ」というメッセージを伝えていきたいと強く思うようになりました。

しかし、この時の私は変わっていく姿を見せていくはずが、人にいらぬアドバイス繰り返すことで、周囲の心がどんどん離れていきました。心が離れていくほどに周囲で愚痴って成長しない人に対して苛立ちを隠さないようになり、この項の冒頭に記した通りの状態を引き起こしてしまいました。

この頃のエピソードで、このようなこともありました。

 

同期の退職があったのですが、その際に送別会を開こう!ということになりました。しかし、退職する同期に「たかしが夢の話をしないならやってもいいよ」と言われてしまいました。

夢を語っているつもりが、ただの独りよがりで周囲からは夢を見る事にアレルギー反応を起こさせてしまっていました。

人はアドバイスしてほしい訳ではありません。「自分で気づいて」「自分で行動したい」と思っていることにも気づかされました。

ダメな自分は生まれながらにしてダメだったわけではない。でも、仕組みを理解しても、それを正しく実践しなければ成立しないことも学びました。ウィルとスキル、気持ちと技術のバランスが重要ということにつきますね。

気持ちは高まっていたものの、技術的に至らない自分に気づき「相手の可能性を最大限に引き出すコミュニケーションスキル」であるコーチングを学ぶことを決意しました。

ザ・コーチを読んだときにはまだコーチングというものをまったく意識していなかったんですけどね。運命っておもしろいもので、数年後にはコーチングスクールの門を叩き、こうしてコーチとして活動している今があります。